「大蔵経寺山」と「大蔵寺山」

大蔵寺山の山火事 - ijiruの山歩備忘録再考
さて気になって件の本を見直しました。調べれば調べるほどわからない・・・

〜大蔵寺山とはまた立派な名前の山である。大蔵寺の裏山にあたることから名づけられた。地図にはどういうわけか大蔵経寺山となっている。『甲斐名勝志』によれば「唐本の大蔵経を納めたまふ夫より大蔵寺と号」とある。決して大蔵経寺ではなく、現在も大蔵寺である〜
山村氏は萩原元克の名勝志を拠り所にしています。

しかしですね、実際お寺の名前は「松本山大蔵経寺」なんですよね。
http://www.daizokyoji.org/info.html
寺史に「戦国時代永禄11年(1568年)信玄の越後攻めの際、戦勝祈願寺として大蔵寺の寺名もあり」とあります。明治期の文献でも「大蔵寺」の語が見えます。ある時期まで「大蔵経寺」と「大蔵寺」が平行して使われていたのか?やはり誤用なのか・・・

宿題ですね。お寺に問い合わせるのが一番早道ですがそこはそれ電話・メールなどという無粋な方法でなく「大蔵経寺」再訪までとっておくことにします。
ということで1/2の山名に関する言及は訂正します。